創造性のもととなる「思考力育成」をテーマに幼児教育、小中高生研修、企業研修を行う一般社団法人です。


2021年7月16日(金)、オンライン対談イベント「子どもの能力を伸ばす夏休みの過ごし方~「論説紙芝居国語」が提案する自由研究~」が開催されました。ピグマリオンメソッドの開発者である伊藤恭先生と「論説紙芝居国語」制作を手掛ける高知工科大学教授・中川善典先生、また同紙芝居制作に参加し、「ピグマリオン論説紙芝居国語」のレッスンを担当する当協会の藤野幸彦の3者対談となった本イベントでは、「夏休みの自由研究」をテーマに、子どもたちの能力を伸ばすための環境づくりと親・保護者を始めとする周囲の大人の関わり方が議論され、非常に濃密かつ充実した時間となりました。当日にご参集下さいました皆様にお礼を申し上げます。

定員を大きく超える431名のお申込みを戴き、子どもたちの成長を願い、またそのためによりよい環境を作ろうと日々心を砕いておられます皆様方の思いの大きさ、強さを改めて感じております。今後もよりよい教材とレッスンの実現に向け、尽力して参る所存です。
どうぞ皆様には引き続きのご厚情を賜りますよう、宜しくお願い致します。

本ページは、対談イベント中にお寄せ戴きましたご質問に対する回答の掲載ページとなっております。掲載にあたりましてご質問者様のお名前を匿名化し、またご質問の関連性を鑑みイベント内でご質問戴いた順とは異なる順での掲載となっておりますことをご了承下さい。

当協会では皆様からのお問い合わせを随時お受けし、回答を差し上げております。
本ページ内の記述内容、またその他にも夏休みの過ごし方、また「ピグマリオン論説紙芝居国語」についてなど、ご質問がありましたら上記の「お問い合わせフォーム」からお気軽にお問い合わせ下さい。


【オンライン対談イベント「子どもの能力を伸ばす夏休みの過ごし方」Q&A】

Q.1 【生活の中での働きかけのポイント】
未就学児(1才児~)や年少の子供が自ら問いを持つように促すために、普段の生活の中で、親はどのような働きかけが良いかポイントがあればお教えください。

A.
 1歳~年少ということで能力的にかなり幅がある年代ではありますが、共通した部分として「疑問を扱うための言葉」を身につけることが挙げられます。ピグマリオンの思考力教材では「高い・低い」等の基礎的な概念を一つ一つ扱っていますが、こうした言葉を持つことで初めて私たちは世界を捉えることができるのです。疑問を持つということは、こうした世界の捉え方を磨く行為であるということができます。
 たとえば「鳥」という言葉を知ることで、初めて私たちは鳥を鳥として認識することができる。そして「あれは鳥だろうか?」という疑問も持つことができるのです。これは極めて基礎的な例ですが、言葉を知ることで初めてその言葉に関連した問いを扱うことができる、ということがお分かり戴けるかと思います。子どもたちが覚えたばかりの言葉を面白がって使うという光景はしばしば見られますが、これは「新しい言葉を知ることで見えた世界」を面白がっているのです。
 また、上の例からも分かるように、大切なのはどの言葉を身につけるか、ということではありません。多様な言葉を聞き、他の感覚とも連携させながら経験していくことで、世界をより豊かに捉える術を身につけることが大切なのです。モノトーンではなく、色鮮やかなものとして世界を見ることができれば、自ずと世界に対する関心も深まり、問いが生まれることでしょう。私たち大人も、日々世界を捉えるための感性を磨き、また語彙を身につけることで子どもたちにそれらを伝えていかねばなりません。

Q.2 【子どもが「学ぶことが楽しい!」と感じるために】
年少の子供が学ぶことを楽しい!と思うような普段の働きかけを教えてほしいです。

A.
 年少のお子様ということで、きっと様々なことに関心を抱き始めておられることと思います。是非とも心がけて戴きたいのは、この年代の子どもたちにとっては「学ぶことも親とのコミュニケーションの一つ」だということです。例えば「あの花の名前が知りたい!」と子どもが思う時に、ただ図鑑を渡して「調べてごらん」と言うだけでは十分ではありません。ともに図鑑を紐解き、あれでもないこれでもないとページをめくりながら、目当ての花が見つかった時の喜びを共有する。そして「凄いね、よく見つけられたね」と共有した喜びを言葉にすることで、子どもたちは学ぶ喜びを知るのです。
 大人が思う以上に子どもたちは周囲の大人、とりわけ自分の親が自分をどう思っているかを気にしています。だからこそ「親子で楽しく取り組む時間」として学ぶことで、子どもたちは前向きに取り組むことができるのです。「お母さん、お父さんが楽しくなさそうな時間」と子どもが受け取ってしまった時のことを考えてみて下さい。そんな時間に、自ら入っていこうとする子どもがいるでしょうか。子どもの興味・関心に寄り添い、日々の子どもたちの発見をともに喜ぶことができれば、その分だけ子どもたちは能力を伸ばしていくことができます。
 いずれ子どもたちは親と一緒にでなくとも、独力で学ぶことができるようになるでしょう。それでも最初は、こっそりと学んだことを教えてくれることがあると思います。そんな時にも、新たな学びと発見に大いに関心を示し、独力で学ぶことができるようになったその成長を喜んであげて下さい。そうした経験、「学ぶことは素晴らしい」という確信の先に、学ぶことそのものが楽しいという思い、また自らの成長を目指す姿勢も自ずと培われるでしょう。

Q.3 【探究を進めるコツ、問いの立て方について】
問い続けていくと言う事ですが、どの段階の問いを探究すればよいか、選ぶコツはありますか?

A.
 探究という営みには、二つの側面を見出すことができるように思われます。一つはある対象をより詳細に、より緻密に知ろうとするいわば「深さ」の側面、もう一つはその同じ対象を他のものと結び付けて新たな知を創り出す、いわば「広さ」の側面です。この二側面は独立しているようにも見えますが実際はそうでもなく、より深く知ったからこそ新たな繋がりに気付くことができる。また他のものと結び付けられたからこそより詳しく知ることができる、という具合になっているようです。それはつまり、物事の探究はその対象と向き合うだけでは済まないことを意味しています。また、だからこそ常に終わりなく新しい問い、新しいものとの結びつきと深化の可能性に探究は開かれているとも言えるのです。
 「どの段階の問いを探究すればよいか」とご質問を戴いていますが、こうした考え方からすると「段階」という言葉はやや似つかわしくないものであるように感じます。一つの対象と向き合いながら、自身の経験や他の知識との関連の中で進められていくものが探究であり、そこには予め決められたプロセスは存在しえないからです。100人の人がいれば、100通りの探究の方法があっていい。当然、スタート地点も一つではないはずです。対談イベント内では「書いてある通りにやってみましょう」という向きの、いうなればメニュー化された自由研究の案内に苦言を呈する一幕がありましたが、これは探究は予め答が用意されているものではない、というこの考え方に基づくものでした。
 「問い続けていく」とは探究を終わりにせず、常により深く、より広く対象を知ろうとするその姿勢を指しています。その意味では、始まったばかりの探究もまた立派な探究です。子どもたちが何かを知りたいと思う、その好奇心を導き大きく育てることが何よりであると存じます。初めに知ろうとした事柄とはまるで別のことが分かり、けれどもそれが最初に興味をもったことよりも面白い……そんな経験も、探究の醍醐味の一つです。
 このような次第で「どの段階の問いを探究すればよいか」というご質問に直接お答えすることは難しいのですが、ここでお伝えした「深さ」と「広さ」という二側面を意識して戴くと、探究を進めていく上で役立つことと思います。つまり、探究の対象を「他のものと比べてみる」、また「今調べている分野と別の分野ではどのように扱われているか調べてみる」等、広さを意識することで、私たちは知識をより深いものにすることができるのです。これは多角的に対象を捉えることの実践でもあり、意識的に探究の方法に取り入れることで、より広い視野、より広い発想の獲得に繋がります。この意味で、複数の分野にまたがる問いを設定することは上手に問いを進めて行く一つのコツであると言えるでしょう。

Q.4 【親のバックアップに関する注意点】
子供の問いや閃きを助長するために親がバックアップする事の重要性を理解できました。親のバックアップのやり方がとても重要だと感じましたが、逆に(親がやりがちな)誤ったバックアップのやり方が(例えば、すぐにググる等)ございましたら、ご教示の程、よろしくお願い申し上げます。

A.
 少し専門的な話題になりますが、近年注目されている幼児教育の取組みに「Guided Play(ガイド付きの遊び)」というものがあります。これは「直接的指導(direct instruction)」と「自由な遊び(free play)」の中間にあるとされるもので、前者(直接的指導)はいわゆる詰込み型の早期教育にあたり、後者(自由な遊び)は教材や知育玩具等を準備して後は子どもたちに自由に遊ばせるという方法を指します。
 子どもたちが最も効果的に物事を学ぶことができるのは「没入している時」であり、自ら主体的に行動していると実感している時であることが、研究の結果として明らかになっています。つまり「自分がやりたいと思ったことに夢中になって取り組んでいる時」が最も望ましいのですが、「直接的指導」は往々にしてそうした取り組みに繋がりません。子どもたちは「やらされている」と感じることが多く、それ以上の疑問や関心を抱くこともなく「言われたことを覚えているだけ」、いわゆる暗記教育になりがちです。また「自由な遊び」は子どもたちが高いモチベーションで取り組むことを期待できますが、取り組みの内容自体が子ども任せであるため、何を学ぶか、そもそも学ぶことができるか分からないという点で課題を抱えています。
 「Guided Play」はこれらの課題を乗り越え、両方の長所を活かすべく考案された方法です。学ぶための環境(プログラムや学材等)を用意するけれども、できる限り直接的には教えない。但し自由に遊ばせるのでもなく、その環境(プログラムや学材等)を通じてどんなことを学ぶことができるかを周囲の大人がよく理解した上で、適宜ルートを外れないようサポートすることで文字通り子どもたちを「ガイドする」というものです。実際にこの「Guided Play」という理念を意識した教育を実践することで、よい学習結果が得られたとする研究が報告されています。
 この観点から言えば、いわゆる「手取り足取り」(≒直接的指導)はよいアプローチではありません。とりわけ自由研究ということに関して言えば、テーマや調査の方法も含め、できるだけ子どもたち自身で考えること(少なくとも「自分でテーマや調査方法を決めることができている」と感じられること)が望ましいと言えます。自由研究が学校の宿題になっているというケースも多いことから、つい「きちんとしたものを」と考えてしまいがちですが、研究とは本来、結果を約束されたものではありません。「ここまで頑張ったけど最後は分かりませんでした」というものの方が、某所で紹介されている「言われた通りにやるだけ」の自由研究らしきものよりよほど大きなこと、多くのことを子どもたちが学び取っていることがありうるのです。
 ただその上で、やはり子どもたちには「自分で調べよう」とは思っても、なかなかその方法には見当が付かなかったり、また移動手段がなく調べようがなかったりということがあります。そんな時には一緒に調べてみたり、あるいは現地に同行したりという仕方でバックアップし、また何をどうしたらいいか分からなくなった時には助言するなど、あくまで子どもたちが研究の主体であることを重視してガイドすることが、理想的な姿であると言えるでしょう。この意味では、例に挙げて戴いた「すぐにググる」という行為は、「親が勝手に調べてすぐ子どもに答を教える」だとすればよくありませんが、「調べものの第一歩として一緒に検索を試してみる」ということであればよい行動だと言うことができます(例えば興味のある動物の生息地をともに調べるなど)。
ただ答を教えるのではなく、疑問を持ち、その疑問を解決するための方法を身につけることが子どもたちの将来の力になります。そうした意味でも、よい「ガイド」役であることが大人たちには求められるのです。ガイドの力を借りたとしても、自分の力で歩いた子どもは、いずれ必ず一人で歩けるようになります。またそうして親とともに歩んだ記憶は、必ずや子どもたちに素敵な記憶として残ることでしょう。

Q.5 【「考え抜くことができる子ども」は何が違うのか?】
自分で考え抜く子というのは普通の子とは何が異なるのか?について何か考えはありますでしょうか。私自身は子供時代すぐに答えを知りたがる性格ではなく答えを言われるのを極端に嫌う子供だったのですが我が子(年中)はそうではなく、親としては上記の「自分で考え抜く」について日々考えているのですが可能な限り色々な考え方を聞きたいと思いました。

A.
 個人の性格を完全にコントロールすることはできないと前提した上でのお答えになりますが、「自分で考え抜く性格」、「答を知りたがる性格」、ともに周囲の環境からの影響があることは間違いないと考えます。少なくとも「答を知りたがる性格」については、教育の実践の中で日々環境の重要さを感じるところです。
 大学生の年代になっても、「答を知りたがる」学生たちは、往々にして(プリントなどを前に)「何て書けばいいの?」と聞きます。「結局は何か正解があって、それをここに書いて覚えたらいいんでしょ?」と言わんばかりです。幾つかの要因が考えられますが、①間違ってはいけない、②とにかく覚えておけば聞かれたことに答えられる、という思考形式に染まっていることが窺われます。減点方式のテストと、理解をそっちのけにした暗記教育の賜物であろうというのが率直な思いです。「正解がある」という前提のもとで間違いを叱りつけ、盲目的に暗記しただけの結果であっても「正解!」と褒められる環境があったのではないでしょうか。また、「聞けば正解(とされているもの)をすぐ教えてくれる存在」が近くにいたのだろう、「ともかく正解が書けたら終わり」という環境だったのだろうとも感じるところです。
 単純な考え方ではありますが、これとは逆の環境があれば、子どもたちには自然と自ら考え抜く力と性格が養われるはずです。上辺の「正解」には満足せず「なぜこれが正解ということになるのか(例えば、なぜ三角形の面積は「底辺×高さ÷2」で求められるのか)」、「その背景にはどんな事情があるのか(例えば、日本で一番高い山、富士山はどんなふうに生まれたのか)」と問いを重ねていく大人が周りにおり、子どもたちがそれぞれに調べ、考えた答を「不正解」などという仕方では評価せず、そのプロセスこそが称えられたならば、子どもたちもまた同じ価値観を共有することができるということです。この意味では「自分で考え抜く」子どもも、普通の子どもの一人であろうと思います。
 お子様は年中とのことですが、まだまだ性格が完成するような年齢ではありません。「正解」を褒めるのではなくともに疑問に向き合い、また問いに取り組んだプロセスを褒めること(一人でできた、早くできた、長い時間かけて頑張れた、いずれも素晴らしいことです)、また仮に答に至らなかったとしても、その努力を大いに褒めて励ますことで、粘り強く考えることの素晴らしさを実感できるはずです。子どもたちのよい導き手となれるよう、私たち大人の心がけが重要であると考える次第です。

Q.6 辞書の有効な使い方について
(「山」とは何か? という問いについて)辞書で定義を調べるというのが面白いと思い、自由研究に取り入れたいと思いました。国語辞典・図鑑・百貨事典などの有効な使い方、アドバイスがありましたら是非お聞きしたいです。

A.
 辞典や図鑑を効果的に使うためには、まず「辞典や図鑑で調べる習慣をつける」ことが大切です。またそのために、「できる限りすぐ手の届く場所に置いておく」こと、調べものに対する心理的なハードルを下げる工夫をするとよいでしょう。その上で、「複数の辞書・図鑑等を併用して、記述内容を比較する」ことが習慣になると一層の効果が期待できます。辞書に書かれている説明は、決して「唯一の正解」ではありません。むしろ、限られた分量で情報を伝えるために切り取られたものと考えた方がよいでしょう。それを踏まえて、複数の辞書・図鑑等を見ることで、様々な角度から捉えられた物事の姿を垣間見ることもできますし、同時に複数の視点の中でも共通して取り上げられているコアの(あるいはコアに近いと考えられている)情報を知ることもできます。イベント中に「外国語の辞書も調べる」という提案がありましたが、これも多角的なモノの見方を身につけ実践する上でよい取り組みです。
 調べることが習慣になると「調べてみよう」と思うことも習慣になり、遡及的に「調べる対象(=まだ知らないこと)」に対して敏感になります。これは「疑問を持つ機会」が増えるということであり、「向学心・探求心」に直結するものです。是非、積極的に辞書や辞典・図鑑を活用して下さい。これらだけで疑問が解決するとは限りませんが、そうして積み重ねた経験は必ず将来の力になります。
 最後になりましたが、子どもたちが辞書を使うこと、何かを調べることを習慣化し、当たり前だと思うようになるためには、私たち大人の姿勢が勿論のこと重要です。日常を漫然と過ごすことなく、ふとしたことに疑問を持ち、その疑問を疑問のままにしておかない態度を示すことで、子どもたちもまた自然と学ぶ方法を身につけ磨くことができます。ご存知の通り、子どもたちは旺盛な好奇心の持ち主です。その好奇心に寄り添い導くことができる、そんな大人であるよう私たちもともに心がけて参りたく思います。

Q.7 【子どもが長い文章を読みたがらないとき】
自分で調べるのに図鑑は良いと言い小さい頃から図鑑や辞書を使っています。ただ、長い文章を読みたがりませんが、どう持っていけばよろしいでしょうか。

A.
 長い文章を読みたがらないということは、率直に言って子どもと大人に関係なく誰もに共通した傾向です。その意味では、無理に長い文章を勧めるよりも、図鑑や辞書より以上に詳しいことを調べることが必要になる、そんな機会があるといいでしょう。自由研究は、そうしたきっかけにもちょうどよいものです。
 ご自身を振り返って戴くと、恐らく、長い文章を読むのはそこにしか書いていない情報が知りたい時と感じられる時ではないかと思います。つまり「より詳しく知りたい」という欲求が細かな調べものには不可欠なのです。まずは図鑑や辞書に取り組んで戴き、「もっと知りたい」という思いが芽生えた時に長い文章に挑戦する。これが自然な形です。この意味では、既にお子様が興味を持ち、詳しく知っている分野から始めるのがよいでしょう。
 また、これも年齢に関係のないことですが「この文章を読んだらいいことがある」という確信があると取り組みやすくなります。直接的には「知りたかったことが分かった」ということですが、他にも「長い文章に取り組む姿勢が認められた」など、周囲の評価も重要です。
 自ら何かを調べようと考え、実際に調べること、また普段は読むことがないような文章に向き合うことは、大人にとっても簡単なことではありません。それは凄いことなのだと、お子様が文章に取り組まれる時には大いに褒め、励まして下さい。その中で「自分が何かを調べ、知るということは素晴らしいことだ」と感じられるようになれば、より多くのことを自ら知っていこうとする意欲にも繋がっていきます。

Q.8 【本読み以外に取り組めること】
下の娘は7歳でピグマリオンのおかげで初見の問題も試行錯誤しお兄ちゃんのわからない塾の問題も解いて教えていますが、言語がまだ弱いです。本読み以外に夏休み取り組めることはありますか。

A.
 言葉というものは、常に会話や文章の中で用いられるものです。そのため、単語だけを取り出して覚えようとしても上手くは行きませんし、覚えられたとしてもさほど言語的な成長には役立ちません。「人間」という言葉一つとっても、扱われる文脈が違えばまるで意味が違うのです(極端な例になりますが、聖書で語られる「人間」と脳科学の見地から見た「人間」は随分違うでしょう)。
 ご質問では本読み以外に、とのことですが、本を読むことは、言葉と同時にその言葉が用いられる文脈を学ぶという観点から見てとてもよいことです。それ以外の取組みを実践される中でも、こうした文脈(もう少し分かりやすく、話題・トピック等と言っても構いません)に触れることを意識されるとよいでしょう。これは、他の物との関連性を意識する、と言い換えてもよいと思います。
 例えば、これから夏休みということで、水族館に行くことになったとしましょう。魚を始めとする水生の動植物を見て「可愛いな、面白いな」と感心する、これは勿論のこと素敵な経験の一つですが、その際に「この魚はどんな環境で暮らしていて、何を食べているのか」といったことを意識的に確認してみる。データとして覚える必要はありません(勿論、覚えられたならそれはそれで凄いことですが)。ただ、「どんな魚にも、それぞれに適した生息環境がある」ということを自覚するだけでも十分です(魚の図鑑でもこうした文脈は学ぶことができますが、実際に環境を調整された水槽を見ることで、より深く学ぶことができるでしょう)。すると、他の機会に魚について考える時にも「生息環境」を一緒に考えることができるようになるのです。これを考える習慣がないと、「どこか海にいる」などというような大雑把な思考になってしまいかねず、すると「海流」「汽水域」「大陸棚」などの生息環境に関連する他のトピックに触れるチャンスもなくなってしまいます。逆に言うと、少し意識を向けるだけで、身の回りの一つ一つのものから広大な学びのタネを手に入れることができ、これが多角的なモノの見方・考え方にも繋がっていくのです。
 文脈を意識するということは、モノの見方・考え方を意識するということであり(生息環境という観点から魚を見ることはその一例です)、多様な視点を持つということは、複数の文脈を意識的に使いこなすということです。一朝一夕にというものではありませんが、言語的な理解力・表現力というものも、こうした視点の獲得に深く結びついています。夏休みに限ったことではありませんが、文化的な文脈、歴史的な文脈など、様々な文脈に意識を向けながら物事を調べることで言語的な素養もまた磨かれるでしょう。そんな自由研究もまた面白いかも知れません。

Q.9 【論説紙芝居国語に子どもはついていけますか?】
うちの子は年中ですが、お話を聞く限り、論説紙芝居国語はかなり難しいように感じました。本当についていけるものでしょうか?

A.
 結論として、個人差はありますが年中のお子様でも十分に取り組んで戴くことができます。
 論説紙芝居の教材本文、またピグマリオン論説紙芝居国語のレッスンは、確かにともに本格的な内容を含んでおります。具体的には東京大学を始めとした国内の大学、また難関とされる中学校・高校の入試問題でも採用された英語・国語の文章から題材をとったものです。しかし論説紙芝居は、それらで扱われたトピックの「答を知ること」、また「大人と同じように理解する」ことを目指すものではありません。
 私たち人間は未知のものに出会った時、自分の知っている他のものに関連づけてそれを理解しようとします。そして、そこから少しずつ調節しながらより正確な理解へと進んでいくのです。すると、何かを知るためには「知るための最初の一歩」がなくてはなりません。論説紙芝居はこの意味で「最良の最初の一歩」を提供するものであり、これから多くのことを学んでいく子どもたちが「あ、これは聞いたことがあるな」「これはあの話と同じじゃないかな」という具合に「未知のものを学ぶための素養」を培うために作られています。様々なトピックを、自分の知っているものとの関係で捉えることができる。これが「国語力」、とりわけ「読解力」の基礎であるとピグマリオンは考えています。
 このため、最初から完璧に理解する必要はありません。勿論、教材の本文は十分にかみ砕かれたものとなっていますが、子どもたちが子どもたち各人なりに各話のトピックを受け取り、思考することこそ必要なのです。この経験を積み重ねる中で、自然と子どもたちの中に知識のネットワークが生まれ、新しいことをより上手に学び、理解することもできるようになっていきます。これはいわゆる文系・理系に関係なく人間の知性全般に関わることですが、「国語力」の正体とはこうしたものです。
 加えて、ピグマリオン論説紙芝居国語のレッスンではレッスン毎に個別にスライドを作成し、各年代のお子様方に適した題材を取り上げ掘り下げる対話型のレッスンとなっております。こちらも「正解」を求めるものではなく、あくまでもともに考え、多様なモノの捉え方・考え方を経験することで「国語力」を磨く内容であり、一定の年齢にならなければできないというものではありません。勿論、実際に年中でレッスンに参加されているお子様もおられますし、全く問題なく取り組み、めきめきと力をつけておられます。
 ピグマリオン論説紙芝居国語では、随時無料のオンライン体験レッスンを受け付けております。是非一度、実際にご体験下さい。私たちが思う以上に、子どもたちはたくさんのことを受け取り理解することができるのだと、きっと驚かれることと思います。

Q.10 【論説紙芝居国語、教材本文とZOOMレッスンの違い】
論説紙芝居国語はDVD教材の販売もあるかと思いますが、Zoomレッスンとの違いなど教えて頂ければありがたいです。

A.
 論説紙芝居国語の教材(「中川博士の論説紙芝居国語」)は、ご家庭での取組みを想定して、教材本文の他、本文の読み上げ、また中川博士本人によるかみ砕き解説や各種クイズ等の映像教材を収録したDVDをセットにして販売しております。Zoomを使用するオンラインレッスン(「ピグマリオン論説紙芝居国語」)は、この教材をテキストとするものです。
 ただし、「ピグマリオン論説紙芝居国語」は紙芝居の本文とそのトピックに対応したものを扱っておりますが、内容としては各話を更に掘り下げ、また本文で触れられていない関連した事柄を取り上げながら、紙芝居本文で扱われている「モノの見方・考え方」を一層深くかつ広く学び、獲得していくことを目的としたものとなっています。また同時に、講師との対話を通じて「自分はこのことをどんな風に考えるか」と思考を言語化し、表現することに取り組んでいます。学校の国語教育に見られるような「本文を読み上げ、内容を解説する」というようなことはありません。
 教材本文もレッスンも「様々なトピックを通じてより多くのモノの見方・考え方を身につける」ことを目的としているという意味で同じものですが、読み物としての特性を活かした教材本文と、対話という営みを主とするオンラインレッスン、二つを掛け合わせることでより一層の効果を実現しています。
 なお教材本文はレッスンとは独立に販売しておりますが、オンラインレッスンは教材本文をテキストとする関係上、受講者の方には教材本文をご購入戴いております。予めご了承下さい。

Q.11 【論説紙芝居国語サマーセミナーの受講について①】
(サマーセミナー)受講条件は第2話と第6話と第12話が含まれたDVD教材を購入して事前学習しておくのが受講条件でしょうか?

A.
 DVD教材と教材本文については、第2話、第6話、第12話のみを収録したサマーセミナー用の特別セットをご用意しております。受講料(\22,000)にこちらの教材代も含まれておりますので、別途ご購入戴く必要はありません。
 事前学習については、オンラインレッスンの内容が教材本文を前提としたものになりますので、事前に教材にお目通し戴くことをお願いしております。内容を完全に理解するという必要はなく、「こんな話だった」ということを大まかに掴んだ状態であれば十分にレッスンに取り組んで戴くことができます。

Q.12 【論説紙芝居国語サマーセミナーの受講について②】
来年小学生になった際には自由研究があると思うので自由研究が楽しみになりました!紙芝居国語のサマーセミナーに興味がありますが、夏休みが8月中旬までですので3回目は参加できません。2回のみの参加もできませんか?

A.
 今回のサマーセミナーは3回で一つのプログラムになっておりますので、1回のみ、2回のみという形で個別にお申込み戴くことはできません。悪しからずご了承下さい。


*この他にも共感・賛同のメッセージを多数お寄せ戴いております。今回はご質問に対するご回答ということで省略させて戴いておりますが、改めて篤くお礼申し上げます。

今後とも皆様のご厚情を賜りますよう、宜しくお願い申し上げます。

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